共働きと受験とADHD

共働きを続けたかった40代ママ。 娘は私立小学校に通うADHD小学生。 一生働き続けるつもりだったのに、小1の壁を越えられなかった。 娘の発達障害のサポートはどうしたらいいの? 私の再就職はどうなるの? さまざまに葛藤しつつ、納得できる人生を求めて試行錯誤しています。

療育を受けなかったことを悔やまないで済む支援体制がほしい

幼少期の療育が極めて重要である、という情報を方々で目にする

また、「療養が受けられていればよかったのに」と支援者に指摘され、年を重ねた当事者(や保護者)が涙するという話も。

 

うちも、小2になってからADHD傾向が指摘された口なので、困難が起きるたびに「あー、もし保育園の頃療育受けてたらどうなってたかなー」というのはいつも心の痛みとともに思わないではない。

 

でも、療育が受けられなかったことを本人や保護者の瑕疵のように指摘することは、あってはならないことだ。支援はやってきてはくれない。何もかももぎ取ってこなければいけないお粗末な支援状況で、療育が不足したことを後からタラレバで語ることは、当事者をひどく追い詰める

 

このように思うには個人的な恨みもある。

 

保育園等から指摘されることはなかったが、私自身は娘の成長に心配があった。睡眠がスムーズでないことと、癇癪の激しさがあったからだ。そこで、1歳半健診のときも、3歳児健診のときも、保健師さんへの個別相談を申し込んだ。そして、娘の遊ぶ様子を観察してもらった。しかし発達に遅れがあると認識されることはなかった

 

中でも3歳児健診の保健師さんの対応は今でも思い出すと涙があふれてくる。

「何が心配だというのですか。あんなにしっかりと遊べているではないですか。問題があるように感じているのだとすれば、母親が仕事ばかりしていて子どもが寂しがっているからです。」と指摘されたのだった。

当時私は私立中高の専任教員として、法定労働時間を大きく超える労働に従事していた。

保健所からの帰り道、泣けて泣けて、帰宅した夫にも泣いて泣いて、どうすることもできなかった。夫が翌日保健所に電話をして「根拠のない、しかし働く母親を傷つける指摘は慎んでほしい」と抗議してくれて、ようやく涙が収まったのだった。

当時のことは、忙しすぎて所々記憶が抜け落ちているのだけれど、あの日のことは強い胸の痛みとともに思い出す。

 

その後、娘の睡眠の不安定さが増す中で、私は退職した。このままではいけないと思って。

 

で、小2になって「発達障害の発覚」からの「いまさら療育受けられない」問題ですよ。

いいかげんにせーよー。

 

こんな話、私の場合だけでなくゴロゴロ転がっていると思うよ。障害の発覚が就学後というケースも少なくないだろうし。そんなに療育というのが良いものならば、心配な子は皆、どの年齢からでも、当然の支援として受けられるようにならなければ

 

でも、現実はそうじゃない。医療的な診断があった後でさえ、児童発達支援センターにスムーズにはつながれなかった。自治体とセンターとに個人的に交渉しまくって、もぎとった療育。それも半年(6回)やっただけで、今、終わろうとしている(↓)。

 

mogana80333.hatenablog.com

 

発達障害の子を育てる保護者は、手探りで、子育てにたくさんの時間と労力をかけている。毎日試行錯誤しながら、最適解を探している。特性によって、得意不得意も、必要不必要も、全てその子によって違うから。

定型発達のお子さんを育てる方や、支援の方向性が見えるであろう知的障害のある方を羨んでしまうこともある(間違ったことだとはわかっていても)。もうこの子を殺して自分も死ぬしか無いと思い詰めてしまう時間もある。

発達障害児の育て方を保護者の責任だけに帰さない支援がほしい。子育てに伴走してくれる支援がほしい。一緒に最適解を考えてくれる専門家による支援を、支援を。それを心から望みます。