発達障害は私の方かもしれない①
長く辛い夏休みが終わった。
娘ちゃんはとにかく家にいられない人なので、学童の利用を控え、外に自由に遊びに出られるわけでもなく、私とのおうち時間が続く日々は、とても苦しいものだったろう。
私もだらだら過ごす娘ちゃんを見て、四六時中イライラしていた。辛かった。
イライラから二人の対立も増えた。
大声で怒鳴ったり叱ったりしている時間が多くあった。
この苦しさは、2020年の緊急事態宣言(一斉休校)の時にもあった。
改めて気づかされたのは、私は娘ちゃんと二人の時間が辛くて辛くて仕方がないということだ。娘ちゃんの発達障害のせいで…。育てにくい子だから…。
だけど、ちょっと待て、親でありながら、こんなに子どもとの時間をうまく過ごせないなんて、もしかして私の方に原因があるのではないか。
発達障害の同級生に苦しめられている子の保護者達のスレッドを見る機会があった。
そのスレッド事態は罵詈雑言に満ちていて、全く気分の良いものではなかったのだけど、その中で
・どうして発達障害児の親はああも子育てスキルがないのか。
・学業や仕事とかでは定型発達に擬態できているけれど、家庭という場では特性が現れている。親もひどい発達障害。
という指摘にはっと気づかされた。
発達障害は8割もが遺伝だと言われている。ならば当然、私にも凸凹があるはずだ。
娘ちゃんと私の特性はかなり異なるけれど。
今までの人生で大きなトラブルはかかえなかったけれど。
擬態に長けていただけで、子育てという究極のマルチタスク(しかもADHDの子育て)に直面して、特性が表面化してしまっているのではないか。
こんど、娘の主治医を受診したら、私の気づきを話し、対応について相談してみようと思う。
不思議なことだが、「私の方に原因が」と思ったとたん、なんだか娘ちゃんといることが辛くないのだ。